えじえじなるままに

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難波八阪神社に行ってみた

大阪の浪速区にある、難波八阪神社。
こちらの神社、難波駅から近くて交通の便が良く、ちょっとした観光スポットにもなっていて外国人の方々に有名らしい。時々テレビでも放送されている。

私も名前ぐらいは知っていたのだけれど、大通りからちょっと外れていたため今まで気付かなかったのだが、今回は近くを通りかかったので行ってみた。

難波八阪神社

当社(難波八阪神社)の創建年月日など詳しい資料は残っていませんが、社伝によれば古来「難波下の宮」と称し難波一帯の産土神でした。
後三条天皇の延久(1069年から1073年)の頃から祇園牛頭天王(ごずてんのう)をお祀りする古社として世間に知られていました。
もとは神仏混淆でしたが、維新後、神仏分離により寺は廃絶し、明治5年(1872年)に郷社となりました。現在のご本殿は、昭和49年(1974年)5月に完成。
毎年1月の第3日曜日に行われている綱引神事は当社の御祭神、素盞嗚尊(すさのをのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、民衆の困苦を除かれた故事に基づき始められたと言われています。
「摂津名所図絵」や「摂津名所図会大成」にも紹介されています。
また、平成13年(2001年)には、大阪市で初めての無形民俗文化財に指定されました。

 難波八阪神社ホームページより。

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こちらの神社があるところ、大通りからちょっと外れるだけなのだが、周りの雰囲気があんまり良くないんだよなー。人通りも少ないし、ちょっと治安が悪そうな感じ。
なのだが、この難波八阪神社に一歩足を踏み入れると、人人人…。
さすが有名な神社だけある。外国人観光客もいっぱい。

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まずは手水舎でお清め。手水舎は南門付近と西門付近にあるが、こちらの手水舎は西門付近にあるもの。

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そしてこちらは、西門の手水舎付近にある篠山神社。
こちらの御祭神は、篠山十兵衛景義公。

篠山神社は、この難波の青物立売市場の公認に尽力し、難波の発展に貢献した大坂代官篠山十兵衛景義の遺徳を顕彰するため、明治十三年十二月二十六日創建されたものである。

その篠山十兵衛景義は大坂代官として在任した期間は、寛政五年七月から文化六年(一八〇九)三月に至る十六年間である。
その支配地は、摂津、河内、播磨三ヵ国の内二百四十村におよぶ、かなり広い範囲の民政を担当していた。
正徳四年(一七一四)摂津国西成郡難波村(大阪市浪速区、南区)の村民が、青物の百姓市の公認を願い出た。天満市場から離れた難波村の村民が、一々青物を天満まで搬出して売りさばかねばならなかった。農事にも差し支え、時間や労力もきわめて無駄なことでもあった。
そこで、青物類は村方商人を通じて、ひそかに売りさばかれていた。
この公然の秘密とも思われる事柄を、幕府に公認してもらいたいという南部の青物生産地の村民の声を、天満の独占的市場の存在が支配地の農民を困窮させているという事実を、篠山十兵衛景義は、もはや見のがすことができなかった。
天満市場側もしだいに折れて、示談が成立し、大根・菜類・茄子・ねぶか・人参・冬瓜・白瓜・南瓜・西瓜・若ごぼう・わけぎ・芋類・かぶらの十三品が一荷としては不足した場合、その半端の分を立売り、つまり店を構えず売ることが認められたのである。このとき篠山代官は感謝され、生祀として奉祭祀されたということである。
さらに文化七年(一八一〇木津村(浪速区敷津東2丁目)においても、村民が自作した青物を、直売したいことを、天満市場に申し出て、難波村と同一条件で、承認されている。

そして、明治元年、青物は十三品以外のものでも天満市場の立売場外で自由に直売買がおこなわれるようになった。篠山代官の理解ある行為が難波や木津の発展に大きく結実したのである。
かつての難波市場の延長ともいえる木津市場は、昭和十三年に大阪市の卸売市場として、発展することになったのである。大坂西成代官とて十六年間在任したのち文化六年(一八〇九)四月、江戸近郊地廻り代官、翌七月一日には、勘定吟味役に昇進。同年三月、浦賀および安房・上総国の海岸の御備場の見分御用、文化十年日光東照宮の修復、文化十二年日光山の家康の二百年忌法会御用などを務めたのち同十三年(一八一六)十月八日に佐渡奉行に就任、わずか十ヶ月で翌文政元年八月二十三日、佐渡国相川の屋敷において病死した。享年六十三歳であった。
尚十兵衛景義は九代目である。

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まずは御本殿に参拝。

こちらの御祭神、京都にある八坂神社と同じく素戔嗚尊。そしてその奥様である奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)と、八柱御子命(天忍穂耳尊、天穂日命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘賣命、多岐津比賣命、狭依毘賣命)。

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でーんっ!こちらがメインの獅子殿(獅子舞台)。こちらの神社はここが有名なのです。

高きは十二メートル奥行き七メートル幅七メートル 。
昭和四十九年(一九七四年)五月本殿竣工と共に完成されました。

鉄骨・鉄筋コンクリート殿内一部木造。外観は銅粉吹き付け合成樹脂仕上げ。 
内部神殿には、御祭神素盞嗚尊の荒魂を祀る
唐櫃上加賀獅子一対奉安、獅子の二十四の歯、目の周りは、真鍮製 折腰格。
天井にはめ込まれている鳳凰の彫刻は全て手彫りで、その意匠が異なっております。又、目はライト、鼻はスピーカーの役割を果たしております。

舞台では、お正月には神楽・居合道など、夏祭りには獅子舞・民踊等各種芸能が奉納されます。
御祭神素盞嗚尊が我国始めて和歌を詠まれた神でもあります。

近年は、大きな口で勝利を呼び、邪気を飲み勝運(商運)を招くと、学業向上、就職、入試あるいは、会社発展を祈願するために、全国各地からのご参拝がたえません。

平成二十年末、地元の篤志家の寄進により内部・前面改修され建設当時の光芒が復活いたしました。

 東門から入ると、こちらの神楽殿が正面に見えます。

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天井はこんな感じ。

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こちらは東門付近にある摂社・末社。

左から、豊国稲荷大明神、三宝荒神社、市杵島姫神社・大物主神、皇大神社・天照皇大臣・猿多彦大神が祀られている。
一番右にあるのは、なぜここにあるのか分からない謎の戦艦陸奥主砲抑気具記念碑。

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おみくじを結ぶところ。こういうタイプのは私は初めて見た。

 

感想

神聖な神社、というよりも、すっかり観光名所になってる神社で、一回来ればお腹いっぱい。
そう広くはないのであっという間に回れる。
観光地としては成功しているかなー。
近くに来られた際にはこちらの獅子殿にも会いに来てくださいねー。